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TOTALFAT、Kuboty在籍ラストライブにみたそれぞれの旅立ち オフィシャルレポートで振り返る

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TOTALFAT presents Kuboty's Last Show "FINAL SHRED”  2019.10.22  新木場STUDIO COAST

今年4月にTOTALFATのKuboty(G/Cho)脱退が発表され、それから6カ月が経ち、『TOTALFAT PRESENTS Kuboty's Last Show"FINAL SHRED"』と名付けられた現4人体制最後のショウが新木場STUDIO COASTで開催された。

TOTALFAT  撮影=AZUSA TAKADA

TOTALFAT 撮影=AZUSA TAKADA

TOTALFAT  撮影=AZUSA TAKADA

TOTALFAT 撮影=AZUSA TAKADA

完全ソールドアウトで満員の中、Jose(Vo/Gt)、Shun(Vo/Ba)、Kuboty、Bunta(Dr/Cho)のメンバー4人がステージに姿を見せると「Broken Bones」で本編は始まった。「夏のトカゲ」では男鹿なまはげ太鼓を、「Delight!!」ではレゲエ・アーテイストのJ-REXXXを迎える。そして、Shunから今日のセット・リストはKuboty考案によるものと告げられ、「かなりのオールタイム・ベスト!」とKubotyは豪語。中盤辺りには「DA NA NA」を筆頭にKubotyのテクニカルなギターを前面に押し出したナンバーが続き、Kuboty がメタル、ハードロックのテイストをTOTALFATに持ち込んでくれた思い出の曲としてMr.BIGのカヴァー「Daddy,Brother,Lover,Little Boy」まで披露。オリジナル曲同様にShunとKubotyは電気ドリルで一部のフレーズを弾くなど、アクロバティックな演奏でも観客を楽しませてくれた。

TOTALFAT  撮影=AZUSA TAKADA

TOTALFAT 撮影=AZUSA TAKADA

TOTALFAT  撮影=AZUSA TAKADA

TOTALFAT 撮影=AZUSA TAKADA

「バンドはじめた時にはドリルでベースを弾かされるはめになると思ってなかったけど、Kubotyの『やらずに死ぬより、やって死ぬ』スタイルは最高!」というShunのMCをうけて、「今日ここに来てくれている全員は行っときゃ良かったじゃなくて行って良かったって奴ばかりで最高。4月に発表して、あっという間で半年忙しくて、俺自身が俺が抜けることを忘れてた。でも今日は優勝しに来たんで、しんみりとか、そんな感情はないので」と、Kubotyらしいユーモア溢れる発言を挟んだ後、「Livin' for The Future」、「Space Future」、「The Naked Journey」とメロディック・パンクの枠を越えたスケールの大きな曲が続いた。

TOTALFAT  撮影=AZUSA TAKADA

TOTALFAT 撮影=AZUSA TAKADA

TOTALFAT  撮影=AZUSA TAKADA

TOTALFAT 撮影=AZUSA TAKADA

「TOTALFATで過ごした15年間、僕の青春のすべてでした」とKubotyが零すと、「KubotyからTOTALFATを去りますって話を聴いたときに、最初はオレらも受け入れがたくて、なんでだよ、ふざけんじゃねぇよ、ここまで来といて今更なんてこと言ってんだと、愛情も何もかも裏返ってしまって、ほんとぶん殴ってやりたいなと思ったんだけど。最初は俺が病気で入院したときにヘルプで参加してくれて、しかもベースで。その俺がいないTOTALFATのライブのビデオ見たらベースでライトハンドやってて、ぶっ飛ばしてやろうかと思った(笑)。その後、前のギタリストが突然いなくなって、そのときから手伝ってくれて、あの時はバンドはじめたばかりで辞めるの簡単だったけど、ここまで連れて来てくれたのはKubotyのおかげで。ありがとうっていうか、ふざけんなっていうか、バカ野郎っていうか、これからもよろしくっていうか、一緒に走って来た中で形容しがたい感情が芽生えてきて。その全部を今日は新木場でみんなと、他のどのバンドの脱退ライブとも違う空気感でやれてる事が本当に嬉しいです。昨日、寝る前に意外と気持ちがカラッとしていて『泣かないだろうな』と思っていたけど、やっぱ涙出て来る。Kubotyも俺たちも進化して行くので応援する対象が一個増えたと思って、これからも宜しくお願いします」とShunは感謝の言葉を述べた。

TOTALFAT  撮影=AZUSA TAKADA

TOTALFAT 撮影=AZUSA TAKADA

TOTALFAT  撮影=AZUSA TAKADA

TOTALFAT 撮影=AZUSA TAKADA

「ONE FOR THE DREAMS」、「Show Me Your Courage」を経て、Joseが「オレたちもKubotyも音楽続けるから死ななきゃまた逢える。生きていたら寂しいときもあると思う。そんなときは言ってやろうぜ。君はひとりじゃないって言葉をさ」と本編最後に「Place to Try」を披露。Kubotyに向けた「君はひとりじゃない」の歌詞を観客全員がシンガロングする感動的な光景が広がった。

TOTALFAT  撮影=AZUSA TAKADA

TOTALFAT 撮影=AZUSA TAKADA

鳴り止まないアンコールに応え、再びメンバー4人がステージに現れ、Kubotyが「オレが辞めると言ったときにすぐにTOTALFATを3人で続けることを選んで、まじかっこいい!」とメンバーを讃える。それに対しShunは「バンド20周年で3人になるなんて……」と苦笑い気味にコメント。それから「宴の合図」、「PARTY PARTY」と畳み掛け、さらにKuboty作曲による「Good Bye, Good Luck」、最後はミラーボールが光る中で「Overdrive」をプレイして大団円を結んだ。演奏が終わっても、Kubotyはステージを去るのが名残惜しいのか、自らのリクエストによりフロアに入って“優勝”したていで観客に胴上げされた。

TOTALFAT  撮影=AZUSA TAKADA

TOTALFAT 撮影=AZUSA TAKADA

なおTOTALFATは、日付が変わった10月23日にデジタル・ニューシングル「Give It All」を発表して3ピース・バンドとして新生TOTALFATをスタートさせ、自主企画イベント『PUNISHER'S NIGHT 2020』の開催を発表した。揺ぎないパンク魂を持ち、これからも止まらずに走り続ける彼らに期待せずにはいられない。


撮影=AZUSA TAKADA

TOTALFAT  撮影=AZUSA TAKADA

TOTALFAT 撮影=AZUSA TAKADA


ヒグチアイ、台風19号で被災した故郷・長野へ向けて新曲「言葉のない手紙」急遽配信リリース決定

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シンガーソングライター・ヒグチアイが、急遽新曲『言葉のない手紙』を本日・11月6日(水)より配信リリースする事が決定した。

これは、自身の故郷・長野に寄せてかねてより大切に制作されていた楽曲で、先日の令和元年台風19号で地元が被災したことを受け、ヒグチアイ本人が想いを形にできればと急遽配信リリースすることが決定した。この楽曲の収益の一部は、被災地に寄付される。

また、震災直後から、デビューアルバム『三十万人』をオフィシャルストアで特別販売を開始。タイトルの”三十万人”は長野市の人口であり、長野という土地で生まれた楽曲が詰まった作品とのことで、特典付きで販売し収益の一部を寄付する。さらに、これまで長野でヒグチアイ本人が製作してきた伝統工芸シリーズグッズ「さをり織りペンケース」「水引ブレスレット/イヤリング」も対象としている。

そして、ヒグチアイは11月7日にLINE LIVEでのスタジオ生ライブの開催も決定している。これは今月開催されるバンドワンマンの直前企画として行うもので、ニューアルバム 『一声讃歌』 の全曲が制作された思い出のレコーディングスタジオから貴重なアンプラグドの生歌を生配信する。

ヒグチアイ コメント

長野市で育たなければわたしはこうならなかった。良くも、悪くも。
好きとか嫌いじゃない、もうずっとそこにある、当たり前。
それは好きとか嫌いの感情よりももっと尊い。
わたしが見てきた景色を、大切な人を、誰かにそのまま伝えられるように。

ヒグチアイ

KEYTALK ヤマト運輸「クロネコメンバーズ」コラボで“届く”MV公開

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KEYTALKが本日11月6日にニューアルバム『DON‘T STOP THE MUSIC』をリリース。そのアルバムの1曲目を飾る「DE’DEVIL DANCER」が、『ヤマト運輸「クロネコメンバーズ」タイアップソング』に決定したことが発表された。

ヤマト運輸と、“届く”をコンセプトにしたミュージックビデオでコラボレーションしている。そして「DE’DEVIL DANCER」のミュージックビデオを見てツイート&応募すると抽選で、ミュージックビデオ内に実際に登場したグッズがプレゼントされる企画を実施。当選者にヤマト運輸がプレゼントを届ける、世界初!?のまさに“届く”ミュージックビデオとなっている。

KEYTALKは、今作を携えたワンマンツアー『DON'T STOP THE MUSIC TOUR 熱狂パワフルKEYTALK 2019 ~本当にダイジョーブ?? 爆発寸前!!武正の足爆弾~』を開催する。

 

ChouCho アルバム『Acoustic Album “naked garden” 』MVフルサイズ、収録曲など一挙公開! ライブの開催も決定

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ニコニコ動画の「歌ってみた」で、約100万再生の支持を得て、2011年にメジャーデビューしたアーティストのChouCho(ちょうちょ)。

彼女が2017年から定期開催しているライブ 『ChouCho Acoustic Live "naked garden"』 のタイトルを掲げたアコースティックアルバムが11月27日(水)に発売されるが、その新曲「リコリス」のMVフルサイズ、収録曲、新アーティスト写真、ジャケット写真が一挙公開された。

ChouCho_nakedgardenジャケット

ChouCho_nakedgardenジャケット

「リコリス」MV

『Acoustic Album “naked garden” 』試聴動画

アルバムには完全新曲の「リコリス」他セルフカバー楽曲や、カバー楽曲など全10曲を収録。オリジナルとは違ったアコースティックアレンジ楽曲で、ChouChoの透明感溢れる歌声を存分に楽しめる。

さらに、このアルバムを提げてアコースティックライブ 東名阪ツアーの開催も決定した。CDには先行URLを封入。また、リリースイベントも開催されるので、公式サイトなどで確認して駆けつけてみてほしい。

SUGIZO×清春 「ys Yuji SUGENO」とのコラボレーションプロジェクト「FIFTYFIFTY」始動

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SUGIZOと清春の新たなコラボレーションによるフォトブック『FIFTYFIFTY』が製作されることになった。

SUGIZOと清春は、SUGIZOのアルバム『ONENESS M』収録「VOICE feat.清春」でのコラボレーション、『SUGIZO TOUR 2017 Unity for Universal Truth』ツアーファイナルでの共演、各々のバースデーライブ『SUGIZO 聖誕半世紀祭』『KIYOHARU The BIRTHDAY』でのサプライズ出演など、これまでにも数々の共演を重ねてきた。

そんな二人が、トップアーティストからの厚い支持を集めるファッションブランド「Bennu」「NO ID.」の創始者であり、クリエイティブディレクターを務めてきたデザイナー・Yuji SUGENOが満を持して立ち上げた新たなプライベートブランド「ys Yuji SUGENO (イース ユウジ スゲノ)」の初コレクションを記念して、Yuji SUGENOとのセッションが実現した。

SUGIZOは「NO ID.」の頃からYuji SUGENOの作る服を長年にわたり愛用し、「Bennu」東京コレクションではランウェイショーの音楽をプロデュースし、ヴァイオリン演奏によりブランドの世界観を表現した。また、清春は自身のアパレルブランド「Moonage Devilment 」立ち上げ時から親交があり、コラボ商品を製作するなど公私にわたる交流を持つ。

“音楽とファッション”という永遠不可分であるアートを追求し、創造してきたこの三人のアーティストが巡り逢い、生誕50年という年輪を重ねた今だからこそ提示できる、新たな世界と関係性。すべての大人達がそんな関係でいられたら…との願いを込められたのが「FIFTYFIFTY」だという。

8月中旬に、菅野によるスタイリングでSUGIZOと清春のファッションフォトセッションが行われ、ここでの完全撮り下ろしのセッションフォトブック『THE GREATEST SESSION 【FIFTY FIFTY 】of “SUGIZO ×清春” by ys Yuji SUGENO』を限定生産。11月5日(火)よりOfficial Web Store、西武渋谷店B館5F にオープンするPOP UP STOREにて先行販売が開始され、その後、全国の店舗やウェブサイトで展開される。

KISS来日記念企画/髙嶋政宏ロング・インタビュー~KISSマニア道・地獄の回想【前編】

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1970年代から40年以上にわたって世界を席巻し続けてきたハードロック界のレガシーバンド、KISSが「END OF THE ROAD WORLD TOUR」と銘打った全世界ツアーの一環として最後の来日公演を12月に各地で行う。

1977年に初来日し、伝説となる圧倒的なライブパフォーマンスで日本の少年たちの度肝を抜いたKISS。その黎明期から彼らに心酔し、マニアとしてファンを続けてきたのが、俳優で、“スターレス髙嶋”或いは“変態紳士”の異名をとる、ご存じ髙嶋政宏だ。そんな彼にSPICEは、KISSの魅力の数々、KISSと歩んだ人生について長時間に渡って話を聞くことができた。

さすがは変態紳士。写真のとおり高嶋は、超レアなKISSグッズを全身に纏って取材場に現れ、気合の入れようをいやというほどに示してくれた。KISSが持つ唯一無二の存在感の秘密、そしてマニアでしか知り得ない逸話の数々を、SPICEにて前後編の二回に分けてお届けする。

■ライブ初体験は異様な雰囲気にのまれ「来なきゃよかった」と思った

──KISSの大ファンとして知られる髙嶋さんですが、そもそものKISSとの出会いから教えてください。

僕が子供の頃って、いまみたいには情報がなかったんですよね。PCもなければスマホもない。TVで洋楽を紹介する番組だってほとんどなかった。NHKの「ヤング・ミュージック・ショー」(※1971年~1986年1、NHK総合テレビで不定期放送)や東京12チャンネル(現テレビ東京)の番組くらいしかなかったんです。

当時、僕は小学校帰りにランドセル背負って、よく上野毛駅近くのレコード屋に行ってました。すると店のオヤジがディープ・パープルやレッド・ツェッペリンなどを勧めてくれるんです。パープルは「スモーク・オン・ザ・ウォーター(Smoke on the Water)」(1972年)あたりはいいんだけど、ジョン・ロードやリッチー・ブラックモアの、ヨーロピアンでクラシックなテイストのソロ演奏はちょっと大人っぽい感じがして、子供の僕にはまだイマイチでした。レッド・ツェッペリンも「天国への階段(Stairway to Heaven)」(1971年)は良かったけれど、他の曲は小学生の僕にとって難しかった。エアロスミスも勧められたけど、アルバム『ドロー・ザ・ライン(Draw The Line)』(1977年)以前は、キャッチーな曲はあるもののわりとブルースを前面に押し出した泥臭い曲が多く、それほど魅力を感じなかった。そんな時に店のオヤジから「これも結構いいよ」って勧められたのが「悪魔のドクター・ラヴ(Calling Dr.Love)」(1976年)という曲でした。

店頭で聴くなり「これ何ですか?」って尋ねると、「KISSっていうバンドだよ」って。これが収録されていた5枚目のスタジオアルバム『地獄のロック・ファイヤー(Rock and Roll Over)』(1976年)は日本独自のジャケットだったと思うんですけど、彼らのメイクを見て「うわあ!」ってなった。音は当時の僕にはハードに感じられ、ジーン・シモンズ(B/Vo)の歌い方も怖いくらいでしたが、むしろそれがちょうど良い感じだったんですよね。だから、音とコスチュームとメイクに衝撃を受けて、そこからすぐにハマりまくりました。

KISS『地獄のロック・ファイヤー』(1976年)

KISS『地獄のロック・ファイヤー』(1976年)

──すると最初の出会いはレコード店だったんですね。

あの頃のロック少年って、だいたいそうだったと思います。もしくは兄弟や親戚のお兄さんに勧められるとか。僕の場合はレコード屋のオヤジが原点ですね。

──小学生だから「ミュージックライフ」といった雑誌を読むのはもう少し後になってから?

いや、買っていましたよ(笑)。そうこうするうち1978年にはKISSが2度目の来日をするんです。TBS「ぎんざNOW!」といったTV番組などですごく宣伝していたから、どうしても行きたくなった。それで父(故・高島忠夫氏)に頼み込んで連れていってもらいました。それが僕にとって初のKISSライヴ体験ですね。日本武道館に行ったのも初めてで、KISSのメイクやコスチュームを真似した人や女子たちの異様な雰囲気にのまれましてね。「来なきゃよかった」と思うくらい圧倒され、怖かったですね。

──まだ小学生ですものね。

ライブが始まった瞬間の「キャーッ!」っていう歓声でまず耳をやられました。これも初めての爆音体験でした。それから二週間くらい耳の具合が悪かったですもん。よく聴こえない。それがショックで「僕はどうなっていくんだろう」って(笑)。あとは火柱ですよね、ライヴ中に。当時は今より規制が緩かったので炎の高さが全然違う。すごく高かった。

そういうKISSのものすごいロックンロール・サーカスを最初に見れたことは、僕にとってとても運が良かったと思えるけど、その反面、その後に行った、ただ座って聴いているだけのコンサートが全然面白くなくなっちゃって(笑)。

──これがロックショーだって言われたら、ほかのはちょっと地味すぎる。

そうなんですよ。で、そこから、いろいろとKISSの情報を探し始めるんです。とにかく、あの頃は、「他のお客さんて、どうやってコスチュームとか真似してるんだろうか?」って、ずーっと羨ましく思っていました(笑)。洋書を置いてある本屋に行ってみたり。当時うちはけっこう厳しくて、けっして何でも買ってくれる家庭ではなかったんです。ただ、家族でホテル・オークラに行った時に、そこの売店にKISSのアメリカ版の漫画が置いてあった。それを見てたまらず「これ欲しい!」って懇願すると、英語の漫画なので両親も「お前、勉強家だな」って、買ってもらえた(笑)。まあとにかく、それくらい飢えていました。

飢えの反動がいま来てるんですよね。「いつか絶対グッズを買えるようになってやる」っていう子供時代の願望を叶えている。でも、同業者である俳優たちが高級時計だ高級車だって言ってる中で、こっちのロックT(シャツ)はたかだか何千円の世界ですからね。KISSのフィギュアも買い漁りましたよ。ニューヨークの友達がいろいろなグッズを送ってくれるんです。その代価として物々交換で僕が友達に日本のゴジラグッズを送るっていう。そんなことをしながら、とにかくいろいろ買い集めています。

──いままでKISSに幾らくらいお金を使ってますか?

どうですかね。一回の来日公演につきTシャツだけで5~6万円分くらいは買いますけどね。

──ほかのグッズも全部買うんですか?

買います。もう凄まじい争奪戦なんです。何が残ってるか。買いたくても売り切れていることはざら。グッズは当日の数を売ったら在庫があっても売らないので、とにかくひたすら並ぶしかないですね。

──Tシャツも保存用と普段着る用に2着づつ必ず買うとか?

最初はそうしてました。でも近頃はLサイズを1枚だけ。というのも、さすがに数が増え過ぎてしまい、奥さん(シルビア・グラブ)が「なんで黒いTシャツばっかり買うの?」って。彼女には通じないんですよ(笑)。

──コレクター魂に火をつけるという点でKISSは、他のバンドとは違うところがありますよね。

全世界でも珍しいバンドですよ。「音楽は聴いたことないんだけどグッズは持ってる」っていう人も多い。おじいちゃん、おばあちゃんから、その孫までもが欲しがってるっていう、そういう特殊なバンド。

彼らがデビューしたての頃は、演奏が下手だってアメリカのメディアからも総スカンでしたが、いま聴くと実は基本的なロックのフレーズを正確に弾くバンドなんだなって思う。エース・フレーリー(G/Vo)だってハードロックのフレーズを、殊更にテクニックをひけらかすわけでもなくちゃんと弾いている。ジーン・シモンズは酷評されても「100億稼いだ。だから俺は何を言われてもなんとも思わない」って言ってる。

まあそう言えるのも、一方でグッズ制作に命を賭けているからなんです。うちだってトイレットペーパーのホルダーはもちろんKISSグッズだし、それどころかトイレットペーパー自体もKISSがハローキティとコラボしたものですよ。あと卓球のラケットも買いましたしね。あと、ダーツとか。それは家に掛けられなかったので、いま友達のバーに置いてもらっているのですが。

■『ラヴ・ガン』については懺悔しなければいけないことが…

──音楽の話に戻りますと、KISSと出会ってからは、特にどんな曲を聴いていましたか。

NHKの「ヤング・ミュージック・ショー」(1977年5月放送)の映像を見たのは大きかったな。それからはしばらく「狂気の叫び(Shout It Out Loud)」(1976年)とか「コールド・ジン(Cold Gin)」(1974年)といったキャッチーな曲ばかり聴いていましたね。アルバムを通して聴くようになったのはもうすこし後になってからでした。当時はとにかくヒット曲ばっかり。テレビの映像で見た曲はスタジオ盤だとどういう感じなんだろうって。

──あの「ヤング・ミュージック・ショー」の映像は、当時のキッズたちに衝撃を与えました。ひょっとして録画されていたんですか?

親の仕事柄、家にビデオデッキがありました。あの頃、KISSは出演していないけど、1978年の「カリフォルニア・ジャム2」(エアロスミス、ハート、サンタナらが出演)もよく見ていました。それは父が録ってくれていたんですが。

──あの頃は今のようにビデオやレコードは沢山は出ていなかったですもんね。怪しい海賊盤の店に行くしかなかった。

僕も渋谷の海賊盤屋にはよく行ってました。画質や音は最悪でしたけどね。

──髙嶋さんはKISSの中では誰のファンだったんですか?

最初は子供だったからジーン・シモンズとポール・スタンレー(G/Vo)。でもピーター・クリス(Ds/Vo)が「ベス(Beth)」や「ハードラック・ウーマン(Hard Luck Woman)」を歌えばが彼のことも好きになるし、「ショック・ミー(Shock Me)」だったらエース・フレーリーに行くし。結局、僕は全員のファンでしたね。メイクしてるカッコいい人たちっていうことで。あと、元々僕は怪獣が好きだったので、あのコスチュームですよね。そこが僕をハマらせていった大きなポイントでしょうね

──コスチュームはとても魅力的ですよね。自分で作ったりとかなさいましたか?

いや、作り方がわかりませんでした。そういう頭はなかったんですね。

──楽器演奏のほうはどうでしたか?

小学校の時期にダウン・タウン・ブギウギ・バンドの宇崎竜童さんに憧れて、「エレキやりたいっ」て思ったんです。ただ、芸能一家ではありましたけど古い家だったので、長髪、エレキ、バイクは「不良になるからダメだ」って言われていました。学校も同様。昔は、どこもかしこもそんな感じでしたよ。あの当時はまさか茶髪の人が普通に街中に歩いているような時代が来るとは誰も思っていなかった。

ただ、何故か「ベースだったら音が低いからやってもいい」と。YAMAHAのSGっていう5,000円のベースを買い、中学生になってからバンドを結成しました。でも、KISSの曲は難しかった。何がって、ボーカルとギターが難しいんです。ボーカルのキーが高いから、なかなか歌えない。でも「ストラッター(Strutter)」(1974年)と「コールド・ジン(Cold Gin)」は演ったかな。中3の頃には、KISSのTAB譜を買い集めるのに夢中になっていました。

──それは1980年くらいですか?

そうですね。「悪魔のドクター・ラヴ(Calling Dr. Love)」もやりました。でもね、実は僕、「デトロイト・ロック・シティ(Detroit Rock City)」(1976年)があまり好きじゃなくて。

──えっ。すると、アルバム『地獄の軍団 Destroyer』(1976年)自体も?

なんで好きじゃないかっていうと聴きすぎて飽きちゃったんですよ。いまも「デトロイト・ロック・シティ」だけはあまり聴かないですね。

KISS『地獄の軍団』(1976年)

KISS『地獄の軍団』(1976年)

──それは珍しいかもしれないですね。僕らのような髙嶋さんと同じ世代だと中高生で『地獄の軍団 Destroyer』にハマって、という人が多い印象があります。

アルバムとして僕が特にハマったのは『ラヴ・ガン(Love Gun)』(1977年)ですね。特に「クリスティーン・シックスティーン(Christine Sixteen)」「ショック・ミー(Shock Me)」の2曲にむちゃくちゃハマっていました。「クリスティーン・シックスティーン」はピアノが入っていてポップで、ベイ・シティ・ローラーズも好きだったこともあって、僕の中でシンクロしていたんです。

KISS『ラヴ・ガン』(1977年)

KISS『ラヴ・ガン』(1977年)

──ほう。ベイ・シティ・ローラーズとKISSに同時進行でハマった方も珍しいですね。多くの男子はベイ・シティは嫌ったんですよね。

やっぱりサウンドが好きだったんでしょうね。ベイ・シティの「ロックンロール・ラブレター(Rock 'n Roll Love Letter)」とか「サタデーナイト(Saturday Night)」のサウンドと「クリスティーン・シックスティーン」のピアノが入った感じとか。その内にだんだんツェッペリンやAC/DCが好きになっていったんですけど、『ラヴ・ガン』はジャケットが最高だった。そうそう、『ラヴ・ガン』については懺悔しなければいけないことがあるんです。あれって中に紙鉄砲が入ってたじゃないですか。でも一回、それを壊しちゃったんですよね。それでレコード屋さんに行って、「これ壊れてました」って嘘をついたんです。店のオヤジさんがいい人で代わりのものをくれたんですけど、僕が死んで煉獄に行ったら、そのことをきっと問い詰められるでしょうね。「あのときの嘘はどう思ってますか?」って。いまだに「なんであんなこと言っちゃったんだろう」って、ひどく悔いています(笑)。

以下、後編に続く──。

取材・文=森本智  写真撮影:池上夢貢


【髙嶋 政宏(たかしま まさひろ)プロフィール】
1965年10月29日・東京都生まれ。俳優。1987年 映画「トットチャンネル」でデビュー。同作及び映画「BU・SU」で、第11回日本アカデミー賞新人俳優賞、第30回ブルーリボン賞新人賞、第61回キネマ旬報新人男優賞などを受賞。以降、映画・テレビ・舞台と幅広く活躍。 主な出演作に【映画】「花筐/HANAGATAMI 」「未成年だけどコドモじゃない」(17)、「マスカレード・ホテル」「キングダム」「空母いぶき」「かぐや様は告らせたい」「3人の信長」(19)、【ドラマ】大河ドラマ「おんな城主 直虎」(17/NHK)、「ハラスメントゲーム」(18/TX)、「牡丹燈籠」(19/NHKBS)、【舞台】「クラウドナイン」(17)、「俺の骨をあげる」(18)、「プルガトリオ」(19)などがある。近年では活動の幅を広げ、バラエティー番組にも多数出演している。

SUPER BEAVERが11月のFM802『ROCK KIDS 802 -OCHIKEN Goes ON!!-』に4週連続登場

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SUPER BEAVERが11月7日(木)より4週連続でFM802『ROCK KIDS 802 -OCHIKEN Goes ON !!-』内にてメンバーがお届けするスペシャルコーナー「BEAVER Goes ON!!」をスタートさせる。

11月30日(土)、12月1日(日)に初の神戸ワールド記念ホール単独公演を行うSUPER BEAVERがライブへ向けての意気込みはもちろん、ここでしか聞けないトークを通して改めてSUPER BEAVERを知ることができるコーナーとなっている。

また来年の3月にclammbon、STANCE PUNKS、ATATA、The Birthday、LOSTAGE、Nothing's Carved In Stoneをゲストとして迎えた自主企画『現場至上主義 supported by TOWER RECORDS』を東名阪で開催する。

チケットは現在発売中。

 

KISS来日記念企画/髙嶋政宏ロング・インタビュー~KISSマニア道・地獄の回想【後編】

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1970年代から40年以上にわたって世界を席巻し続けてきたハードロック界のレガシーバンド、KISSが「END OF THE ROAD WORLD TOUR」と銘打った全世界ツアーの一環として最後の来日公演を12月に各地で行う。

前回に引き続き、今回も、俳優にして日本(世界?)有数のKISSマニアとして知られる“スターレス髙嶋”こと髙嶋政宏に、KISS地獄に人生を捧げてきた軌跡を語っていただく。今回はこれまで蒐集してきたレアグッズの中から選りすぐりの逸品を身に纏っての、非常に気合のこもったインタビューである。前回よりも更に加熱した内容が展開することだろう。

■ディスコに魂を売ったと言われても僕はKISSが好きでした

──KISSファンの少年たちを面白がらせたのは、なんでもかんでも“地獄の”っていう邦題がついていたことですよね。

日本のレコード会社の人たちはある意味、上手かったんじゃないかな。“地獄”がつくことによって食いつきがいいんですよ。地獄の軍団とか。たしか、本人たちも服に漢字で刺繍をしていたような憶えがあります。漢字が好きだったのでしょう。ポール・スタンレーなのか、ジーン・シモンズなのか。ま、ジーンの方がビジネスマンだから。「これやったら儲かる」と思ったのかもしれないですよね。テイジンと組んで作ったスカジャンにも漢字が入っていたかと。リバーシブルのスカジャンでXLしか残ってなかったんですよ。ちょっとデカいんですけど買いました(笑)。とにかくKISSは日本が好きですからね。日本人のことも好きだし。

──“地獄の”がつくタイトルは秀逸だったですね。髙嶋さんはアルバムのタイトルや曲名を邦題で憶えるタイプですか?

いやー、どうですかね。でも両方ともあります。中学、高校になり、クラブでDJと知り合うのですが、DJは英語のタイトルで言うんですよ。『Dressed to Kill』(1975年)が今日は来てるんだとかね。「あ、“地獄への接吻”か」とかね。そうやってだんだん詳しくなっていく。

──クラブでKISSですか。当時はディスコミュージックやエレクトロなんかも出てきて、クラブでかかっていたのはそういうのが主流だったような印象がありますが。

僕がクラブに行き始めた時代は、ドゥービー・ブラザーズの「ロングトレイン・ランニング(Long Train Running)」(1973年)とかかかってたんですけど、やがてブルース・スプリングスティーンの「ボーン・イン・ザ・USA(Born in the U.S.A.)」(1984年)だったり、アース・ウィンド&ザ・ファイヤーなどもかかるようになっていました。でも、そういうクラブも含めて、KISSはほとんどのクラブでかかっていましたよ。そうこうしているうちにハービー・ハンコックの「ロックイット(ROCKIT)」(1983年)とか、ロンドンのDJユニットのコールドカットが出てきて、日本では藤原ヒロシ登場ですよ。そんな中でもKISSはずっと流れてました。

で、『地獄からの脱出(Dynasty)』(1979年)が出て、その中の「ラヴィン・ユー・ベイビー(I Was Made for Lovin' You)」がむちゃくちゃヒットしましてね。「KISSがディスコに魂を売った」みたいなことを言う人もいたんですけど、俺は好きでしたね。「あのベースのフレーズ、どうやって弾いてるの?」って思いながら随分と練習しましたが、後からシーケンサーだったと知って(笑)。

ただ、メンバー一人一人のソロアルバムが同時にリリースされた時(1978年)に、人によっては作品がつまらないように感じたんですよね。『地獄の回想(Lick It Up)』(1983年)では急に素顔を出したりして、そのあたりから、だんだん「KISSってどうなっていくんだろう」って。僕の中ではメイクこそが魅力の大半を占めていましたからね。

KISSって、向こうのメディアで喋っている時はめちゃくちゃロックなんですけど、日本に向けてのインタビューになると、すごく優しい感じなんですよ。「日本人を愛してます」とか「僕たちのことをわかってもらえると嬉しい」みたいな。それを見て「ロックじゃないじゃん」って(笑)。そこで僕はKISSから一回遠ざかるんですよね。

KISS『地獄からの脱出』(1979年)、『地獄の回想』(1983年)

KISS『地獄からの脱出』(1979年)、『地獄の回想』(1983年)

──遠ざかったんですね、やっぱり。

ええ。その間は他の音楽をいっぱい聴いてたんですけど。ただKISSがノーメイクで来日した時も東京での全ての公演に行きました。

──全公演!

はい。最近は仕事が忙しすぎてそこまで行けないですけど、それでも東京と大阪は行きますよ。KISSを見るためだけに大阪に行く。

──離れた時期にも?

アルバムは聴かないんだけど、コンサートは行く。メンバーチェンジしても僕は全く否定しない。

──メンバーチェンジの話をしだすと長くなっちゃいますか(笑)。

いや、要するに、エース・フレーリーの後任ギタリストになったヴィニー・ヴィンセントは上手すぎたんですね。いってもKISSはポールとジーンがスーパースターですから、「おまえ、目立ちすぎなんだよ。ウチ、そういうバンドじゃないから。俺たちのバンドなんだから、そんなにテクニカルに弾くなよ」って言われて。それでも弾き続けて、結局クビになったっていう。まぁ、でも、ヴィニー・ヴィンセントは辞めてよかったんじゃないですかね。フレーズが全然違いますもん。KISSのあんな、ゆっくりしたリフ弾いてられないでしょう(笑)。あと、ピーター・クリスの後任ドラマーだったエリック・カーは病気で亡くなっちゃったんですよね​。

──悲しかったですよね。

そうなんですよ。で、来日公演に行って「アイ・ラヴ・イット・ラウド(I Love It Loud/1982年)」を初めて聴いたんですよ。その頃はKISSから離れてレコードを聴いてなかったから。「この観客を巻き込む名曲はなんだ。KISSすごいな」と。そこで改めて、アルバムをまた聴き始めた。

──その時のドラムがエリック・カーでした。

そう、エリック・カーです。『暗黒の神話(Creatures Of The Night)』(1982年)でした。その時のブラジル公演のTシャツ買いましたもん。

KISS『暗黒の神話』(1982年)

KISS『暗黒の神話』(1982年)

──え。ブラジルに行ったわけではないんですよね。

ではないんです(笑)。缶に入ったTシャツ。『サイコ・サーカス(Psycho Circus)』(1998年)は、ポール曰く「クイーンが“ボヘミアン・ラプソディ”を出したのと同じくらいの意欲作だ」って言っていたので、勇んで聴いてみたんですけど、それほど良くはなかった(笑)。ライヴでやるからいいのかなってくらいの感じでした。たしかそのあたりで、再加入したピーターが鬱病になり、やはり再加入したエースもアル中になって、いなくなったり復活したりを繰り返して、その後にギターのトミー・セイヤーとドラムのエリック・シンガーが加入するんですけど、この2人は頭がいいなと思いました。KISSのオリジナル・メンバーを大先輩として崇め、言う通りにやりながらバンドを支えつつ、自分たちも曲も書くっていう。2人が入ったことによってまたKISSが蘇った。トミー・セイヤーはジャズもブルースもフュージョンも弾けるし、アコースティックギターだって上手いと思うんですよ。なのにハードロックのリフとソロを忠実に弾く。そこから絶対にはみ出さないですからね。

KISS『サイコ・サーカス』(1998年)

KISS『サイコ・サーカス』(1998年)

──器用で頭がいい。それにしても髙嶋さんは、一時離れたとはいえ、メンバーの変遷も、プログレっぽくなった時期も全て受け入れられるんですね。。

ええ。ここ5年ほどは、遠ざかった時期の空白を埋めなきゃと思って、改めて熱心に聴いているんですけど、『~エルダー~ 魔界大決戦(Music From“The Elder”)』(1981年)がけっこう好きです。プログレのようなアルバムでむちゃくちゃ評判悪かったですけど。

KISS『~エルダー~ 魔界大決戦』(1981年)

KISS『~エルダー~ 魔界大決戦』(1981年)

──僕もけっこう好きです。出た時は評判が悪かったですね。

なぜ、ああいうサントラみたいなアルバムを作ろうと思ったのかわからないけど好きですね。あとストーリーを知るといろいろなことに区切りをつける意味合いだった『リヴェンジ(Revenge)』(1992年)も好きです。それとセルフカバーした『地獄烈伝(Jigoku Retsuden)』(2008年)も! テンポが遅いんですけど重くていいんですよ。このあたりで「ホッター・ザン・ヘル(Hotter Than Hell)」(1974年)とか昔の頃のKISSに戻るっていう。確かKISSって半音下げるとヘヴィになるって言って最初にそれをやったバンドじゃなかったでしたっけ? 昔、コピーしたとき音が合わなくて「おかしいな」と思ったら全部、半音下げていたっていう。『地獄列伝』でテンポがゆっくりになったのもいいんですよね。まぁ、最近はライヴが始まると大体がそのテンポなので、あまり違いは感じませんけどね(笑)。

KISS『リヴェンジ』(1992年)、『地獄烈伝』(2008年)

KISS『リヴェンジ』(1992年)、『地獄烈伝』(2008年)

──KISSをあまり知らない20代や30代の若い人たちにはどのアルバムをお勧めしたいですか?

クラブのDJとかやっている若い人たちには最初の3枚、『地獄からの使者(Kiss)』(1974年)、『地獄のさけび(Hotter Than Hell)』(1974年)、『地獄への接吻(Dressed to Kill)』(1975年)ですね。70年代感をロックな曲で繋げるにはいいと思います。音がクリアになってからの時期より、初期のほうが面白いと思います。音色がちょっとセコいかもしれませんが、当時の綺麗すぎない感じがいいので、そこから入ってほしいですね。あとはKISSの最初のライブ盤『地獄の狂獣 キッス・ライヴ(Alive!)』(1975年)でしょうね。音から当時の勢いを感じてほしいです。『アライヴ2(Alive Ⅱ)』(1977年)になると、成功をおさめた後なので雰囲気がゴージャスなんですよ。最初の「どうなっていくんだろう?」っていう勢いでやってる1枚目のライブアルバムのほうを勧めたいですね。あとは、アルバムって言われたんですけど、まずは何と言ってもTVの『ヤング・ミュージック・ショー』の映像は必見ですよ。

KISS『地獄からの使者』(1974年)、『地獄のさけび』(1974年)

KISS『地獄からの使者』(1974年)、『地獄のさけび』(1974年)

KISS『地獄への接吻』(1975年)、『地獄の狂獣 キッス・ライヴ』(1975年)

KISS『地獄への接吻』(1975年)、『地獄の狂獣 キッス・ライヴ』(1975年)

──(笑)。ネットで探せば見つかるかもしれませんね。あるいは正攻法でNHKにリクエストすればいつか再放送されるかもしれません。

「こんなに荒々しいバンドがいたんだ」っていう、そこでしょうね。最初の頃の手作り感、荒削りなんだけど、すでに「ロックンロール・サーカス」として形になっている。これは絶対に観てほしいですね。すべてはここから始まった。

■本人たちが“最後”って言ってるんだから“最後”を見届けようよ

──実際にメンバーに会われたことはありますか?

原宿のラフォーレで開催された「KISS EXPO TOKYO 2016 ~地獄の博覧会~」で、ジーン・シモンズさんに会わせていただきました。感動しましたね。僕よりデカい。巨大な人でした。ジーン・シモンズさんって普段は人と絶対に握手しないんですって。握手すると菌が入って死ぬって言ってるらしい(笑)。でも、僕がファンだってすごくアピールしたら、なんと握手してくれたんです。その時の写真は家宝です

──それは本当に貴重な!

それと、もうひとつ。アメリカのアニメ『スクービー・ドゥー』がKISSとコラボした『スクービー・ドゥー&KISS:ロックンロール・ミステリー』というのがあるんです。僕がKISS好きだということで、KISS役の日本語吹き替えをやらせてもらったことがあるのです。それも全員の役! 声色を工夫して楽しかった!! その宣伝パネルをジーンさんのところに持っていったらサインしてくれました。それも永久保存版です。

──髙嶋さんの嬉しそうな顔が目に浮かびます。さて、ライヴの話ですが、いままで行かれた中でいちばん良かったKISSのライヴというと?

いちばん最初に見た1978年のライヴはもちろんなんですけど、2013年の大阪城ホール。始まる時に「今日はSNS上げ放題。写真も動画もOKだ」ってアナウンスを聴いた時に胸が熱くなりました。「KISSってすごいな」って。普通、最初にさんざん注意点をアナウンスするじゃないですか。2013年10月21日のアナウンスを聞いた時には全員感動ですよ。

──あの肖像権などにうるさそうなジーンが、よく許可しましたよね。

あと、印象が強かったのは、2015年3月3日の東京ドーム。ももクロ(ももいろクローバーZ)がゲスト出演した公演です。アンコールのももクロが出るまでのグダグダ感は悪い意味で印象に残ってます(笑)。「まだまだあるよ」って言いながら突然メンバーがいなくなり、ももクロが出るのは知ってたけど、待てども待てども一向に出てこなくて。

──ももクロさんたちは、KISSがどれだけすごいバンドなのかわかっていたのでしょうかね。

ジーン・シモンズさんはリサーチ力がすごいから、「いまいちばん稼いでいる女性アーティストと共演したい」ということで、ももクロになったんじゃないんですかね。CD「夢の浮世に咲いてみな」(ももいろクローバーZ vs KISS名義)だって、僕はちゃんと買っちゃいましたもん(笑)。名曲ですよね。ももクロの声が入ることでサブカル感がプラスされて。あれはクラブとかでウケるんじゃないんですかね。

「夢の浮世に咲いてみな」【KISS盤】

「夢の浮世に咲いてみな」【KISS盤】

──KISSの昔からのファンとして「ふざけるな」とかじゃなくて、受け入れられるんですね。

魂を売ったとか、そういう問題じゃないんです。まず、そういう意識から脱出しないといけないって。

──髙嶋さんのそのフラットな姿勢は面白いですね。そういうところで離れていく人も多いと思うんですよ。「ラヴィング・ユー・ベイビー」でいっきに離れていったり、メイクなしになってKISSが終わったと思った人たちにも、今回の最後のツアーは来てほしいですよね。

そうですね。でも、本当に“最後”なんですかね? 噂だと、ポール・スタンレーは辞めるらしいけど、そこに別キャラが入るんじゃないかって噂も。

──えーっ?

KISSはずっと続けるって。あくまで根も葉もない噂ですけどね(笑)。でも、いいと思いますよ。お客さんが聴きたい曲をこれからも永久にライブでやり続ける。奇を衒わない。いいと思います。そういうのが必要なんじゃないかなと思いますね。最近はキング・クリムゾンも遂にその境地にたどり着いた。まあ、その話は長くなるので置いておきますが(笑)。KISSって、ロックのコンサートというより『シルクドソレイユ』みたいなショーを観に行く感覚です。だいたいステージで起きることは予めわかってるんですけど行きたいっていう。

──そうですよね。何が起きるか全部わかってるんだけど面白いんですよね。

そう。最初の頃は“歌舞伎メイク”って言われてましたけど、「アリス・クーパーを真似してたんだ」ってメンバーも言っていたとおり、実のところ歌舞伎は関係ないらしい。でも、歌舞伎みたいに展開とか見せ場とかが全部わかってる。そういうショーですよね。だからこそ誰が見ても面白いんです。テンポよくキャッチーな曲がどんどん来ますから観てない人がいたら絶対観てほしいですね。これを逃したら損すると思いますね。曲が好きとかパフォーマンスがすごいとか、そういうレベルの話じゃなくて、人として1回は観るべきものなんです。

──改めて、40代~60代の、往年からのファンにメッセージをお願いします。

これで“最後”だって言ってるんだから信じてみようよって(笑)。そこがまずひとつですね。もっと続いてくれたら嬉しいよねっていうのがありつつも、「本人たちが“最後”って言ってるんだから“最後”を見届けようよ」っていうのが正直なところです。もう、ポールとジーンのラインナップであの名曲、あの歌声で聴けなくなるかもしれないんだよっていうことですよ。だったら耳と目に焼き付けようと。これしかないですね。

──“最後”の来日公演なので見ておかないとダメですよね。

僕はずっと見て来てますけど、なんか目に浮かぶんですよね。ファンだった人やそんなにファンじゃなかった人が、終わったあとに車の中でKISSをダウンロードしてベスト盤とか聴く光景が。

──本日身に付けていらっしゃるグッズについても解説してください。すごいレアものばかりですね。

KISSのグッズに関して僕は「PGS音楽市場」という、ヘヴィ・メタル/ハード・ロックのグッズ専門サイトで買うんですが、レアなものはホントに取り合いです。Tシャツはそんなに焦らなくていいんですが、時計とかブランケット、ランチボックスだと、仕事中でも「ちょっと待ってください」って、携帯で一刻も早くポチります(笑)。「そろそろ」って言われても「すみません。これだけクリックさせてください」って。時計は市場に上がった瞬間に「これ、すぐにおさえないと」って。どこ製だっていいんです。いま腕につけているコレなんか、届いた時から動いてないんですけど(笑)。

──(笑)そうなんですね。

ええ。いいんです。ただ持っていたいんです。持っていることが重要なんです。で、今日着ている、このコスチュームはタイムラインで急に流れてきたんです。普通のタイムラインなのに見たことない通販会社、聞いたこともないメーカーで「これ何だ?」と思いながら、焦りすぎてエースだけダブっちゃったんですけど(笑)、全部カートに入れてクレジットカード情報を入れて送信してから、「待てよ。これもしかしたら詐欺なんじゃないかな」と思ったんです。で、1週間たっても2週間たっても届かなくて「やばいな」って。「でも、2万とか3万だったので詐欺だったとしてもいい勉強かな」と思っていたら、1ヶ月後くらいに、ちゃんと届いたんですよ。開けて「やった! 俺が思ってたサイズ感と同じだ! 詐欺じゃなかったんだ」って、そのときは感動しましたね。で、そのあとにまたタイムラインでスウェットパンツが出て来たんですよ。詐欺じゃないとわかったから、すぐクリックして。で、いま着てるのはジーン・シモンズです。

スニーカーはVANSが突然KISSとコラボするってYahooニュースで見たんですよ。15年くらい前かな。最初がソロアルバムで、携帯で見た瞬間に「すぐ完売する!」と思って、ABCマートに自転車で行き、「キッスのコラボありますか?」「あ、これ最後の1足ですね」って。それ以来、毎週のようにABCマートに電話して全部買い集めましたね。

──すごい熱量ですね。

VANSがおさまったと思ったら、今度はPUMAがポール・スタンレーとコラボすることになって。ポールが画家として描いたデザインなので、KISS感はないんですけど、ロゴにポール・スタンレーって描いてあるんですよ。これ見た時はお店では間に合わないっていうのでPUMAのオンラインに入って買いました。縞馬柄をポールが描いていることになってるんですけど(笑)。サイズを探して「これだ!」って。

あとはサングラス。最近はいっさい出てこないですね。ポール・スタンレーのサングランスが無理なので。

──片方がデザインしようがないですからね。

ピーターも無理っぽくて、あるとしたらエースなんですよね。これは最高ですよ。今日、この日のために(笑)。とにかく、これと上下は今日のこの日のために。ジャケットとかいろいろ持ってますけど、これしかないと思いました。

──髙嶋さんが素晴らしいのは、ただ単に集めてコレクションしておくだけじゃなくて、実際に着たり履いたりするところですよね。

着たり履いたりして見せたいっていう(笑)。普通に歩いて「誰かが反応するかな」っていうのを見たいんですよ。「あれ、それ、どこで買ったんですか?」って本当に言ってくる人がいるので、その時に「あ、マニアと出会った」って。だから自分が見たことのないKISSのTシャツを着てる人見たら、「いいの着てますね」って普通に言いますよ(笑)。

取材・文=森本智  写真撮影:池上夢貢


【髙嶋 政宏(たかしま まさひろ)プロフィール】
1965年10月29日・東京都生まれ。俳優。1987年 映画「トットチャンネル」でデビュー。同作及び映画「BU・SU」で、第11回日本アカデミー賞新人俳優賞、第30回ブルーリボン賞新人賞、第61回キネマ旬報新人男優賞などを受賞。以降、映画・テレビ・舞台と幅広く活躍。 主な出演作に【映画】「花筐/HANAGATAMI 」「未成年だけどコドモじゃない」(17)、「マスカレード・ホテル」「キングダム」「空母いぶき」「かぐや様は告らせたい」「3人の信長」(19)、【ドラマ】大河ドラマ「おんな城主 直虎」(17/NHK)、「ハラスメントゲーム」(18/TX)、「牡丹燈籠」(19/NHKBS)、【舞台】「クラウドナイン」(17)、「俺の骨をあげる」(18)、「プルガトリオ」(19)などがある。近年では活動の幅を広げ、バラエティー番組にも多数出演している。


佐藤千亜妃 1stソロアルバム『PLANET』より新曲「空から落ちる星のように」の先行配信を開始

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佐藤千亜妃が11月13日(水)にリリースする1stソロアルバム『PLANET』から、新曲「空から落ちる星のように」の先行配信を本日よりiTunes、レコチョクほか主要音楽配信サイト・各種サブスクリプションサービスにて開始した。

「空から落ちる星のように」は、この世で出会えたかけがえのない人との出会いの素晴らしさ、尊さを謳った珠玉のバラードナンバー。佐藤千亜妃オフィシャルSNSでは、同曲のミュージックビデオ公開を予告するティザー映像がアップされており、11月12日(火)にミュージックビデオを公開する予定とのこと。

佐藤千亜妃のファーストソロアルバム『PLANET』は、「Lovin’You」「大キライ」「Summer Gate」など既に配信されている楽曲に新たに新曲を加えた、全12曲を収録。DVDには新鋭映像作家の林響太朗(はやしきょうたろう)氏を映像監督に迎えたスタジオライブ映像4曲が収録される。

12月には東京と盛岡の2ヶ所でワンマン公演が決定している。

チケットは現在発売中。

1年と5カ月の活動休止を経て新たなボーカリストSERAを迎えいよいよ進撃を開始したSALTY DOGに直撃インタビュー

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SALTY DOGが1年と5カ月の活動休止を経て、新ボーカリストSERAが加入し活動を再開した。すでに10月20日@club asiaでの復活ライブを行い満員御礼となるなど、注目されている。新たな「アニラウド」という新機軸の音楽性を打ち出しながら、11月9日に渋谷club asiaにて、新譜「ANiMA」リリース後初公演となる、総勢10組のアーティストが出演する「Ragnarok FEST」を開催することが決定しているなど精力的な彼らの今に迫った。

──前ボーカルのINGERさんが脱退された後、SERAさんが加入されるまでの経緯をお聞きしていきたいのですが、どういうボーカリストを探そうと思ったんですか?

KENT(Guitar / Programming):2017年の5月に活動休止ライブをして、その後にホームページでボーカリストを公募したんですよ。

NEMESAN(Drums):オーディションをやろうということになって。で、ホームページで募集した人達や自分で見つけた人達と会ったんですけど……全員で60人ぐらい? 

KENT:うん。でも、この人!っていう人がいなかったんですよ。そこから2017年は個人での活動──僕とTOMOYAさんであれば歌手のMay'nさんに楽曲提供をしたり、NEMESANは他でサポートをしたりしていたんですけど、2018年になってからTOMOYAさんとSERAが出会ったみたいで。

──SERAさんとしては、ボーカルのお話をもらったときにどう思いました?

SERA(Vocal):実はTOMOYAさんのHPが残り5しかない頃に召喚されました。「ボーカルを探している」との事で、奏でられたSALTY DOGの楽曲を初めて聞いた時、私の中で運命的な挑戦的な何かを感じるものがありました。その後スタジオでメンバーと初対面、アンサンブルして更に興味が湧きました。

──NEMESANさんは、初スタジオの時の感触というと?

NEMESAN:正直に言うと、その時はあんまりというか。ドラムの音がデカすぎて(笑)。

KENT:そうそう(笑)。

NEMESAN:スタジオの環境が結構劣悪だったんで、めっちゃ小さく叩いても(SERAの声が)聴こえなかったんですよ(笑)。

SERA:実は私も聞こえませんでした。

NEMESAN:でも、僕としてはそのスタジオよりも前にSERAの歌っている曲を聴く機会があって、それがすごく良かったんですよね。1年間、新しいボーカルを探し続けて、実際に会ったのは60人ぐらいだけど、音源の数は700〜800曲ぐらいは聴いていて。その中でも断トツに良かったし、実はその後にも何人かと会ったんですけど、“あの人じゃないとダメなんじゃない?”って。だから、最初のスタジオに入る前に、この人だってもう決めてました。

──KENTさんは、初スタジオの印象というと? 環境が……との事でしたけども。

KENT:その時はメンバーから“こんな人ですよ”という紹介が特に無かったんです(笑)。

NEMESAN:確かに言ってなかった(笑)。スタジオもよく分からなかったでしょ?

KENT:うん。ただ、自分が一番自信のあった持ち曲とのハマりがすごく良かったんですよね。それが『ELiXiR』に入れた「Screams Within」なんですけど。それを聴いた時に、これはいけるぞという確信を持てました。


──そして、2018年8月にSERAさんの加入を発表されて、10月に現体制での初ライブを行われたわけですけども、新体制として活動していくにあたって、ここからどう進んでいくか決めていた事はありましたか?

SERA:……という話を聞いていなかったので、困りました。

NEMESAN:加入が決まってから、最初のライブまでかなり急ピッチで動いたんですよ。だから正直、10月のライブの時は固まりきっていない所もあって。

KENT:ただ、音楽性としては、僕とTOMOYAさんの中でひとつあって。活動を休止した後に、僕らはアニメソングの世界で活躍できるんだという自信が持てたんですよね。それでもやっぱりバンドもやりたいという思いから、造語ですけど「アニラウド」というものを考えたんです。例えばバンドマンらしからぬアレンジの緻密さや圧倒的な歌唱力。かつ、アニソンには無い本物のバンド感。それは自分達にしかできないと思ったので、そういう音楽性を標榜してやりたいなと思うに至りました。

──音楽性としては、自分たちのストロングポイントをちゃんと押し出しつつ、その中でも急ピッチで動いたのは、とにかく活動を再開させる事に意義があったと考えていたんでしょうか。

NEMESAN:そうですね。とにかくあの時は突っ走ろう!っていう感じだったから、CDがないまま復活してしまったんですよ。とにかく復活した事を皆に言いたいと思って。

KENT:個人的には、音源を作ってバンドがどういうキャラなのか固定してから始めたいと思ってはいたけど、TOMOYAさんとNEMESANはとにかく1秒でも早く復活することが大事だと思っていて。それも間違いないと思ったので、そこは本当に正解だったと思います。

──ただ、急ピッチで曲をリアレンジするのは大変だったんじゃないですか? たとえば、歌詞を英詞から日本語詞に変えたりとか。

KENT:そこが一番手間でしたね(笑)。

NEMESAN:ははははははは(笑)。焦ってたよね、とりあえず。

KENT:でも、10月のライブ前に2曲作ったんですよ。それが「DANCE&SHOUT!」と「The Dark Side Of The Moon」の2曲なんですけど。

──今回リリースされる『ANiMA』の収録曲は、その頃にはもうあったんですね。SERAさんとしては、このバンドのフロントマンとして歌う事になってから、ライブで感じたものというとどんなものがありました?

SERA:新たな地に足を踏み入れた感覚はありました。ただ、ボーカルが変わる事によって今まで作り上げてきた楽曲の雰囲気も歌詞も印象も変わってしまい、マイナスなイメージを与えてしまうのではないかと不安を感じていました。

──その怖さがありながらも、続けていく事で変わってきたものはありました? たとえば、ライヴをしている時、お客さんの表情が変わってきたとか。

SERA:あの、前が見えないんですよね。

KENT、NEMESAN:ははははははは!(笑)

──そうでした!(苦笑) 仮面を付けていますからね。

SERA:でも、最近はお客さんが一緒に歌ってくれる声がとても聴こえてくるようになりました。それは私が場慣れしてきた事もあると思いますし、受け入れてくれている事が少しずつ伝わってきました。お客さんの声を聴いているうちに、もっとこんな表現をしてみようとか、もっと煽ってもいいのかなと思ったりして。

SALTY DOG

SALTY DOG

KENT:SERAが人外の存在とはいえ、メンバー同士お互いの事を知って打ち解け合うのが大切ですし、ここ数ヶ月でだいぶSERAのことを知れて、一緒にライブをしている感じは強くなりましたね。

──NEMESANさんは、ドラマーとして後ろからメンバーを見ていて、雰囲気が変わっている事を感じたりしています?

NEMESAN:SERAが加入した時よりも元気になってるなとは思いますね(笑)。お客さんと一緒にライブを作っているような感覚を、後ろから見ていて感じます。心がきちんと繋がるようになっているなって。

──そこはすごく大きいですね。

NEMESAN:だいぶ大きいと思います。最初は、今まで自分が接した事のないお客さんの前に立って、その人達が何を欲しているのか分からず歌っている感じだったと思うんです。でも、今は皆が求めているものも分かるようになってきて、少しずつライブでコミュニケーションを取れるようになっているんじゃないかな。こっちの2人(TOMOYAとKENT)はずっとやってるんでアレですけど(笑)、ボーカルのエネルギーはだんだんと強くなってきましたね、この1年で。

──SERAさん、思い当たる節があったりします?

SERA:そうですね。ライブや楽曲、メンバーやお客さんの声と触れ合う中で様々な感情が芽生えて、何を伝えたいのか気持ちもはっきりしてきて言葉にしやすくなりました。今はメンバーやお客さんの事を考えている時間が楽しいです。

──では、11月6日にリリースされる『ANiMA』についてお聞きしていこうと思うんですが、どの曲もかなりドラマティックですし、収録曲それぞれカラーが違うものになってますね。

KENT:曲ごとに作ったメンバーが違うんですよ。

──どなたがどの曲を作ったんですか?

KENT:「EMBER LAST」はSERAの作詞作曲で、「Brave New World」はTOMOYAの作詞作曲。「DANCE&SHOUT!」はTOMOYAと僕の2人で作ってます。で、「The Dark Side Of The Moon」と「EMILIA」は僕の作詞作曲ですね。曲を作るときは、メンバー各々からメロディと、1コーラスでもいいので簡単なデモを貰って、そこから僕がDAW(作曲ソフト)で楽器を付けて、それをまたメンバーに戻して作詞と細かいアレンジを詰めていく感じで作っていくんですけど、それぞれ好みの違いもありますし、それを良い方向に持って行きたいなと思ってました。多彩過ぎるきらいもあるんですけど(笑)。

SALTY DOG / ANiMA

SALTY DOG / ANiMA

──その中で、今回のリード曲は、1曲目を飾っている「EMBER LAST」なわけですけども。

KENT:ボーカルが変わった事によって客層が変わったことも感じていますし「アニラウド」という音楽性はありつつも、新たな表現を考えている所ではあるんですよね。その中で生まれたのが、今回のリード曲かと思います。

NEMESAN:前の自分たちであれば、もしかしたら「Brave New World」がリードになっていたかもしれないけど、今のお客さんの層を考えると、「EMBER LAST」の方が良いんじゃないかっていう。そういう所もありますね。

──「EMBER LAST」はかなりシンフォニックな曲ですけども、SERAさんとしては作る時にイメージしていたものはあったんですか?

SERA:ありました。以前のSALTY DOGとは真逆の楽曲なので聞かせた時の反応や出来を心配しておりました。ですがKENTさんから帰ってきた編曲が私の想像していたものプラスαで構成されていたので本当に感動しました。リード曲として決まった時は正直不安だったのですが。

KENT:正直だな(笑)。確かに初作曲だからね。

SERA:作詞やメロディーは少し関わっていましたが、全て自分で製作したのはこの曲が初めてなので。


──KENTさんが作詞作曲された「The Dark Side Of The Moon」は活動を再開するタイミングで作ったとの事でしたけども。

KENT:この曲は2日ぐらいで作りました(笑)。僕が最初に感じたSERAのキャラクターと、僕の持っていたダークなメタルとかメタルコアの素養を合わせた感じですね。

──あと、先行シングルとして発表されていました「EMILIA」は、いわゆるラウドというジャンルでは括れないスローナンバーになっていますね。

KENT:今までのSALTY DOGとは違うものが欲しいという話があった事と、TOMOYAから劇伴音楽を聴かされたんですよね。それが劇伴なんだけど歌があるという曲で、こういう風にしたいというオーダーがあって生まれた曲ですね。

──ちなみに、そのときに聴いた劇伴音楽というと? 

KENT:「進撃の巨人」の2期なんですけど。

──澤野弘之さん。

KENT:そうです。劇伴音楽なんだけど、歌もの作品としても成り立っているという。そこに多大な影響を受けました。

──SERAさんの声をイメージして作った部分もありました? この曲のSERAさん、めちゃくちゃ良いなと思いながら聴いていたんですけど。

KENT:間違いないですね。やっぱり歌う人の声が念頭にないと、アレンジとマッチしない事はあるので、やっぱりこの人の歌声を僕が理解して作らないといけないというのは、常々思っています。

SERA: SALTY DOGにはバラードがあまりないという事ですが、実はバラードの方が感情も込めやすく歌いやすくて。『EMILIA』は新しい一面を見つけられた曲なのかなと思います。楽曲内のコーラスワークもこだわっていますし、想像していた表現と異なるものに挑戦してみたら意外にも納得するものができたので、とてもクオリティの高い楽曲に仕上がったのではないかと思っております。


──NEMESANさんとしては、今までにないものにトライをしてみていかがでした?

NEMESAN:僕自身、いろんな所で叩いているので、ああいう曲自体が初めてなわけではなかったんですけど、ソルティでこれやるか!っていう。スローテンポの曲は大昔に一曲あったんですけど、最近はライブでやっていなかったので、それをお客さんがどう感じるのか楽しみにしていて。評判良かったので、良い感じに転がったなと思います。

──バンドとして新たなものを受け入れてもらえるというのは、かなり嬉しいことですよね。

NEMESAN:そうですね。なんか、ここの2人(SERAとKENT)の相性が良いのか、何をやっても上手くいくんじゃないかなって、客観的にちょっと思っちゃっている所があるんですよ。新しい事をやる度に、上手くいくんじゃない?って。

──KENTさんも上手くいきそうな確信はあります?

KENT:曲を作っている時は不安ではあるんですよ。新しいボーカルに合わせた楽曲を自分が作れるのか?っていうのは常に気にしてはいるんですけど。ただ、新しい事に挑戦しないと進歩はしないと思って、自分に出来ない事に取り組みながら、レベルアップさせていますね。

──11月9日には本作のリリースパーティーが渋谷club asiaで開催されますけども、今後バンドとしてはどのように進みたいと思っていますか?

KENT:復活してからは、東名阪などメジャーな場所にしか行けていなかったので、もう少し細かく回れたらと思って、来年3月まで全国ツアーを企画しています。今後としては、メンバーそれぞれ個人的な目標もあるんですよ。SERAとTOMOYAと僕でいえばアニメソングをやりたいという強い願いがありますし、フェスにも出たいですし、僕個人としてはメジャーデビューもひとつの夢ですし。そのためにも、もっとバンドの規模を大きくしていかないといけないなと思っています。

NEMESAN:3人はアニメが好きだけど、僕はそんなに観ないから、バンドで見るような夢が多いんですけど。ただ、もちろん大きなステージでやりたいとか、フェスに出たいというのもあるけど、僕はそもそも……ちょっと前の話に戻っちゃうんですけど、活動休止して、新しくまたやろうとなるまでの1年間って、ひとりのドラマーとして活動していたのが結構上手くいってて。そこからまたバンドをやることになって、ボーカルをどうするか決めるときに……もうダメなんじゃないかなって正直思ってたんですよね。これだけの人と会っても、ものすごい量の音源を聴いても見つけられなかったから。だけど、SERAと出会って、このボーカルとなら今まで出来なかった事が出来るんじゃないかなって。そういう楽しみの方が多いんですよ。

──なるほど。

NEMESAN:だから、夢や目標は個人的にあるんですけど、それよりも今は、SERAが出来る事というか、SERAだからこそ生み出せるものが世の中にどう評価されていくのかが、今の僕の楽しみですね。もっと届くと思うし、もっと大きなバンドになるんじゃないかなっていうのが感覚としてあるので。

──SERAさんとしても、たくさんの人に届けたいし、届くだろうという感覚はあります?

SERA:近いうちに塗り替えれるようなものが生まれたり、今までにない景色も見れる予感がします。ですが、私だけじゃなくメンバーそれぞれ個性の塊なのでさらに主張してもいいのではないかと思っております。

──みんなで前に出ようと。

SERA:そうです。この4人だから出来る事をやっていきたいです。


取材・文=山口哲生

THE BAWDIES 新木場STUDIO COASTを360度解放した最高に楽しいロックンロールショー

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今年2019年に結成15周年・メジャーデビュー10周年を迎えたTHE BAWDIESが、11月2日に新木場STUDIO COASTにて開催した『LIVE! TO \ワー/ RECORDS feat. THE BAWDIES ~360° Rock and Roll Circus~』のオフィシャルレポートが到着した。


結成15周年、デビュー10周年を迎えたTHE BAWDIESが、今年40周年を迎えたTOWER RECORDSとタッグを組み、11月2日(土)、共同開催で新感覚のライブイベントを行なった。『LIVE! TO \ワー/ RECORDS feat. THE BAWDIES ~360° Rock and Roll Circus~』と銘打たれたこのライブは、THE BAWDIESの持つロックンロールのパワーとバンドの魅力とが最大限にフロアに放たれる、最高に楽しいショーとなった。

THE BAWDIES

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会場となったのは新木場 STUDIO COAST。その客席フロアの真ん中に、この日の特別仕様でほぼ円形にセットが組まれていて、観客とバンドとの間を隔てるのは1本のロープのみ。さらに通常ライブ時には演者が立つはずのステージ上も、この日は観客用のスペースとして解放されていて、演奏スペースを360度ぐるりと観客が取り囲むというスタイルだ。こんなSTUDIO COASTは見たことがない。その景色を眺めているだけで、始まる前から心が躍った。

THE BAWDIES

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おなじみのSE、ウィルソン・ピケット「ダンス天国」が鳴る。満場の観客がハンドクラップで出迎える。(通常の)ステージ袖から、観客の間をすり抜けるようにしてフロアへと降りてくるメンバーたち。「それではみなさん。しっかりお祭りにしましょうかー!」というROY(Vo・B)の掛け声を合図に、「LET’S GO BACK」でショーはスタート。TAXMAN(G・Vo)のギターリフがうねりを上げ、メンバー4人はそれぞれ背中を向け合う形で、文字通り360度、全方位に向けて音を放射していく。至近距離で撃ち抜かれるようなソリッドなロックサウンドに、初っ端から圧倒される。ふだんはステージの最奥でバンドサウンドの土台を担うMARCY(Dr・Cho)も、この日はオーディエンスを目の前にしての演奏で、いつもとは違う景色を楽しんだ。明滅するライティングの中でスリリングなロックサウンドが響く「THE EDGE」では、バンドも観客も早くもクライマックスを迎えるかのような昂揚感。JIM(G・Cho)はアウトロでモニターにギターを擦り付け、そのアクションもいつにも増してテンションが高い。

THE BAWDIES

THE BAWDIES

ROYが「(結成)15周年なんです。なので周年みたいな気持ちもありつつ、ちょっと特別な曲を」と繰り出したのは「ROCK ME BABY」。彼らが初めて日本武道館に立った2011年11月、その後に最初にリリースされたシングル曲であり、彼らがロックバンドとしての成熟を見せつけた楽曲のひとつである。そういえば、その初の武道館公演で、THE BAWDIESは初めての360度ライブを行なったのだった。ROYが「今日はいろんなことを思い出しながらやっている」と語っていたが、この日のステージは、観客とゼロ距離の小さなライブハウス時代のことも、それこそ初武道館公演のことも含め、今に至る様々な景色を思い起こさせるものだったに違いない。

THE BAWDIES

THE BAWDIES

TAXMANとJIMがアコギを、ROYがベースを置いてハンドマイクを手にすると、「KEEP YOU HAPPY」、そしてインディーズ時代のレア曲「JUST PICK UP YOUR PHONE」、バンドの新機軸を見せた2015年のシングル曲「SUNSHINE」と、ヴィンテージライクな極上サウンドがフロアを魅了する。ROYの歌声もとても心地好く響いていく。TAXMANも「気持ちいい」とつぶやいていたのが印象的だった。

THE BAWDIES

THE BAWDIES

この15周年の締めくくりとも言うべきタイミングで、11月27日にニューアルバム『Section #11』がリリースされることをROYが報告すると、その最新作から2曲、「SKIPPIN’ STONES」、「BLUES GOD」が披露された。いずれもTHE BAWDIESの新章を象徴するような、とにかくかっこいいとしか言いようのないロックンロールたち。彼らがバンドとしてとても良い状態にあること、そしてさらにアグレッシブに突き進んでいく意思を持っていることを感じさせる、新曲とは思えないほど練り込まれたアンサンブルに痺れた。

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終盤、この特別なセット、仕様でのライブについてROYは改めて「これよくない?」とメンバーに問うと、TAXMANは「これ、バンドマンが見てたら絶対真似したくなるよね。特許取ろう」と言っていたけれど、確かにこの規模感でこの親密さ、エンターテイメント性を実現させる設えは見事というほかない。さらにこの様子は5台のカメラを駆使して生配信もされていて、オンラインでマルチアングルにて楽しむこともできる仕様。現場とはまた違った楽しみ方ができるという点でも斬新なライブであった。そのお祭り感とライブ感は、THE BAWDIESの4人のメンバーのキャラクターに絶妙にマッチしていて、最高のエンターテイメントとして成立していたし、ロックバンドのエネルギーをダイレクトに感じさせる場として、最高のロケーションを実現させた。

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最後は「IT’S TOO LATE」で最高潮へと向かう口火を切ると、ダンスパーティーさながらの「B.P.B」、客席のシンガロングも絶好調の「SING YOUR SONG」と続き、フロアの隅々までが飛び跳ねる圧巻の景色を見せた「JUST BE COOL」で本編終了。とにかく気持ちいい。楽しい。アンコールに応えて登場したメンバーたちによる全力の小芝居(360度仕様のステージで見るこの小芝居がまた、最高に可笑しかった)から「HOT DOG」へとつなぐお約束を楽しみ、本当のラストに披露されたのが「KEEP ON ROCKIN’」。メンバー全員がぞれぞれ客席とのコミュニケーションを楽しむように暴れまわり、フロアのハンドクラップも素晴らしいビートを叩き出す。そして曲間では、これまた恒例の「ダンス天国」のスキャットによるコール&レンスポンスを全員で思い切り楽しむと、天井知らずの爆発力でまた「KEEP ON ROCKIN’」が響き渡る。最高のエンディングだった。

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最後はいつものようにTAXMANの「ワッショイ!」で締めくくる。この日は謎の「アニマル式」が採用され、会場一体となって祭りの終わりを祝福した。現在進行形で進化を続けるTHE BAWDIESだからこその幸福なロックンロールショー。新作のリリースと、そのツアーが楽しみになる夜でもあったし、この形式での「360度ライブ」はぜひともまたいつか再演してほしいとも思った。彼らは最高の夜をまたひとつ刻みつけた。しっかりとルーツを根底に感じさせながら現代のロックを高らかに鳴らす、つくづく稀有なバンドであると誰もが実感したことだろう。ここからまた始まるTHE BAWDIESの新章に期待が心底高まる一夜となった。

取材・文=杉浦 美恵 撮影=橋本 塁(SOUND SHOOTER)

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fripSide 10周年ツアー初日開幕 神戸に轟く「3654日後の超電磁砲」撮り下ろし多数で緊急レポート

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2019.11.4(MON)『fripSide Phase 2 : 10th Anniversary Tour 2019-2020 -infinite synthesis 5-』@神戸国際会館

第二期fripSide10周年を記念したライブツアー『fripSide Phase 2 : 10th Anniversary Tour 2019-2020 -infinite synthesis 5-』が11月4日、神戸国際会館を皮切りにスタートした。

撮影:敷地沙織

撮影:敷地沙織

10月30日には6枚目となるオリジナルアルバム『infinite synthesis 5』も発表したfripSide、10周年イヤーを突っ走る彼らがどんなライブを見せてくれるのかという期待に、神戸のファンは開場前から長蛇の列を作って開場を待つ。

ユニットが10年を失速せずに駆け抜けるのはとても困難なことだと思う、コンスタントに楽曲を発表し、更にライブでも観客を魅了する。言葉にすると簡単だがそこに対する労力はとてつもないことなんだろう、その10年分の経験を凝縮した濃厚なライブが展開された。

撮影:敷地沙織

撮影:敷地沙織

撮影:敷地沙織

撮影:敷地沙織

今回のツアーは2020年の4月横浜アリーナのファイナルまでの長期間に渡るものなので、演出やセットリストはまだ公開せずに現地で楽しんでもらいたいと思っているが、間違いなくお伝えできるのは、音楽の渦の中で楽しんでいたらあっという間に時間が過ぎていったということ。

撮影:敷地沙織

撮影:敷地沙織

客電が落ちた瞬間に客席はペンライトは夏オレンジの色で染められ、南條愛乃と八木沼悟志がその姿を見せると怒号のような歓声が響き渡る。ボルテージを下げることなく歌う南條の声に呼応するように観客の声は大きくなっていく。反響し合うパワーは熱量を生む。

「みんなどのくらいアルバム聴いてきたの?」と客席と掛け合いをしながらMCを展開していく姿はとても優しい。アルバム収録曲に対して「ライト何色振っていいのか悩んだかもしれないけど」と言うのもアルバム発売直後のライブならでは。

本人たちも以前語っていたが、想像以上にfripSideのライブは暖かい。楽曲から感じる印象としてはデジタルの攻撃的なサウンドが展開されるものだと思う人がいるかも知れないが、ライブで感じる音はむしろ生っぽい。それは南條と八木沼が観客、バンドメンバーをも巻き込んで展開する笑いあるMCコーナーとともに、培われた演奏技術とグルーヴが生むものなのだろう。

撮影:敷地沙織

撮影:敷地沙織

長年続いているユニットだからこその新規の入りづらさもあるのでは?という意見もあるかもしれないが、fripSideのライブにはそれを感じることはない。会場の空気から感じるのは不安なユーザーを受け入れる余裕だ。

fripSideの音楽にとことん興味を持つ人は勿論だが、単純に気に入った曲があった人でもいい、友だちに誘われただけでもいい、そういうライトな感覚でライブに触れた人間も楽しませる懐の深さをもっている不思議な魅力がそこにはある。

撮影:敷地沙織

撮影:敷地沙織

以前より伸びやかに柔らかさと強さを兼ね備えた南條のボーカルが、八木沼が作り出したトランシーでソリッドなサウンドと重なる、そこには根本的な音楽の楽しさがある。ただ受け入れて体を揺らしているだけで気持ちいいというのは素晴らしい体験だ。

撮影:敷地沙織

撮影:敷地沙織

そしてこの日は、第二期fripSideの1stシングル「only my railgun」から丁度発売10年目の日(2009年11月4日発売)。アンコールではこの日だけのスペシャルとして八木沼と南條が改めて登場。

「思い起こすとこの十年間、決して楽なことばかりではありませんでした。でも、もうだめかなと思ったとき、皆さんの笑顔とか、ライブでもらえるパワーを頼りに十年間やってこれました!ありがとうございます!」と八木沼がコメント。

撮影:敷地沙織

撮影:敷地沙織

少し照れくさそうな南條を横にしたまま八木沼は続けて「このちょうど十年目の今日、いろんなことを思い出しますけど、全部をこれからに繋げて行きたいと思っていますので、よろしくお願いいたします!」と感謝を込めた挨拶を行う。会場内には「only myrailgun」のシングルを掲げる人も見られる中でこの日だけのMCを行った後には、勿論その「only my railgun」を披露する番だ。

撮影:敷地沙織

撮影:敷地沙織

何度も何度も歌われたであろう一曲は色褪せずに歌われる、ユーザーの手元に届いてから3654日、サビを大合唱するファンと一緒に作られた音楽はまさに「超電磁砲」のように神戸の街に響く。南條の「まさかとは思いますけど、リリースイベント来てくれた人います?」に対して返事を返すファンに「嘘!じゃあぴゅあぴゅあな私を見たの?」と笑わせるのも年月がなせる技か。

撮影:敷地沙織

撮影:敷地沙織

そしてfripSideのライブに欠かせないDJ担当の川崎海が、4月の横浜アリーナを最後にライブバンドを脱退、トルコに移住して音楽活動に邁進するということも初日のこの日に発表された。それを万雷の拍手で送り出す客席。八木沼が語った「良いツアーにしよう!」という言葉が全員の心に刻まれる。

撮影:敷地沙織

撮影:敷地沙織

「10年前幼稚園だったの?同じ言語で話せるようになったね!」という南條と、「10年前30代だった人?いるね…頑張ろうぜ!」という八木沼。本当に絶妙なバランス。柔らかさと強さを兼ね備えたfripSideのライブは何度見ても心に豊かなグルーヴを生んでくれそうな予感に満ちている。

撮影:敷地沙織

撮影:敷地沙織

「なんかツアー初日っていつも緊張して、しかも10周年じゃん……でも、がんばります!」

八木沼と南條が改めて気合を入れて終演した神戸の夜。10周年の今日から始まるこのツアーは誰をも受け入れる広さと、底の見えない音楽の魅力に溢れたものになりそうだ。

撮影:敷地沙織

撮影:敷地沙織

レポート・文:加東岳史 撮影:敷地沙織

ゴールデンボンバー 歌い、踊り、飛び、12,000人を笑顔にした横浜アリーナ公演で見た、金爆のやさしさ

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地方民について本気出して考えてみた~4年以上行ってない県ツアー~
2019.10.20(日)横浜アリーナ

ゴールデンボンバーの全国ツアー『地方民について本気出して考えてみた~4年以上行ってない県ツアー~』が11月3日、兵庫・神戸ワールド記念ホールでファイナルを迎えた。SPICEでは、10月20日に神奈川・横浜アリーナで行われた公演のレポートを掲載する。

毎回、ストーリーに沿ったおもしろいライブを展開するゴールデンボンバー。今回は、東名阪という定石をあえて外して地方を回るツアーということで、段ボールアートの名手、喜矢武豊(ギター)が作った段ボール機材車で訪れた各地で、地方の良さを堪能するというテーマで展開された。

ゴールデンボンバー

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オープニングVTRに登場した段ボール機材車がステージに登場すると、その中から鬼龍院翔(ボーカル)、喜矢武豊、歌広場淳(ベース)、樽美酒研二(ドラム)が降り立ち「ワンマン不安」が始まると、会場はたちまちヘッドバンキングの嵐! 続くデュエット歌謡「やんややんやNight ~踊ろよ神奈川~」では、鬼龍院が男性パートを歌い、ファンが女性パートを歌うのだが、チケット完売で立ち見まで出た満員の横浜アリーナの12,000人がデュエットする姿は圧巻だ。

MCでは喜矢武が「地方の美味しいものが楽しみ。横浜にもお米に合う中華がありそう」と言えば、樽美酒が「地方で印象に残っているのは、ホタル。今はなかなか見られないけど、信じていれば必ず会える!」と地方礼賛。

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このMCが引き金となり、「抱きしめてシュヴァルツ」では喜矢武がてんこもりのゴハンを中華デザート“杏仁豆腐”をおかずにバクバク食べたかと思えば、樽美酒がホタルに扮し、Tバック姿で横浜アリーナの上空をフライングして沸かせた。「また君に番号を聞けなかった」では、「地方はファッションがビミョー」と言っていた喜矢武がファッションセンター風の店に入り、聖徳太子風などさまざまな古い時代の服に着替え、最後には股間を葉っぱで隠しただけの“はっぱ隊”衣装(?)に変身すると、歌広場と樽美酒もこれに続き、「令和」では鬼龍院も加わった全員がはっぱ姿で熱唱。喜矢武は段ボールのショルダーキーボードでソロプレイ(もちろんエアー)も披露した。

ゴールデンボンバー

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中盤は恒例の演劇コーナー。いつもは鬼龍院が台本を書いているが、今回はなんと、鬼龍院→歌広場→樽美酒→喜矢武がリレー方式で台本を書くという初の試みを行った。高校生鬼龍院と歌広場が他高の学園祭に出かけ、そこで出会った樽美酒と喜矢武と恋に落ちたり、殺人事件に巻き込まれるという学園LOVEサスペンスもの。金爆らしい下ネタや、キャン様のガチャピンのコスプレ「ガチュピン」なども挟み込まれ、最後の「世界平和」では4人が全裸(風衣装)でENDを迎えた。

「また君に番号を聞けなかった」のはっぱ衣装からずっと裸だった喜矢武は、「6曲ずっとハダカだった。下手するとフェスの待ち時間丸々ハダカだから!」と愚痴りながらステージ上で衣装に着替えると、「地方は自然が豊かでいいよね。人生で一度くらいはハンティングをしてみたいな」という前フリで「ガガガガガガガ」のギターソロ部分で鳥を撃ち、ホタルを撃ち、バズーカまで撃ち盛り上げると、「ぼくの世界を守って」ではメンバーたちがトロッコで客席を周りファンを煽る。

 
ゴールデンボンバー

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メインステージに戻ったかと思えば、前日のライブで初披露した新曲「かまってちょうだい///」で“下手、上手、センター!”と歌詞に合わせて会場を扇動。ここからは「毒グモ女(萌え燃え編)」、「暴れ曲」と、BPMも上がり怒涛の盛り上がり。「こぶしくれー!」という鬼龍院の絶叫を合図に再びトロッコで会場を回ると、「イヤホン」を客席の美しいシンガロングで締めくくった。

ゴールデンボンバー

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アンコールにはツアーTシャツで登場。配信が始まったばかりのEDM+ハードコアな新曲「首が痛い」を歌った後は、喜矢武の「地方の空気はウマいけど、ライブ会場の空気が一番。この空気を吸い込んで成長していこう!」という前フリで氣志團に提供した「きかせて!!アンコール」へ。そして、喜矢武がいろいろなものを吸い込むというカオスを経てラストを飾ったのは、おなじみの「女々しくて」だ。最初のリリースから10年(2011年に再発)というこの曲だが、ゴールデンボンバーに「女々しくて」は外せない。最後は全員がポンポンを持って踊って、ステージに華を添えた。

ゴールデンボンバー

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ダブルアンコールに応えてメンバーたちが登場すると、鬼龍院からの「今年のイブ、空いてる?」というお誘いで、『ゴールデンボンバークリスマスライブ ~聖夜の再陀魔~』を12月24日に開催することを発表。「大きい会場が空いてないんだ!」と大宮ソニックシティでの開催を詫びたが、これは、大激戦チケットになりそうだ。

ゴールデンボンバー

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最後の最後は日替わりのダブルアンコール。「なかなかライブでやらなくて埋もれてたから、知ってる人が少ないかもしれないけど、そろそろやらないと忘れそうだから」と「こんにちは孤独」を、再び会場をトロッコで回りながら熱唱。歌い終わるとメンバー全員が歩いて横浜アリーナのセンター席エリアを1周して別れを惜しんだ。

ゴールデンボンバー

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ゴールデンボンバーのライブは、本当に楽しい。歌詞がわからなくても、フリがわからなくても大丈夫。ライブご新規さんにも配慮した言葉をかけてくれる。そんなやさしさと楽しさが、ファンを増やしていく所以なのだろう。

11月16日には、同ツアーの特別追加地方無観客ライブとして開催される無人島・沖ノ島でのライブが全国へ緊急生配信される。メンバーたちを地方に運んできた段ボール機材車は、無人島に向けて水陸両用に変身し、4人を乗せて大海原を進んで行った。

取材・文=坂本ゆかり 撮影=菅沼 剛弘

 

No Party For Cao Dong 来日インタビュー 世界を股にかける台湾オルタナバンドの成り立ちと現在地

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No Party For Cao Dong(草東沒有派對)という台湾の4ピースバンドをご存じだろうか。インディ・ポップからラウドまで多様な音楽を吸収したオルタナティヴ・ロックを武器に、本格始動からわずか数年にして本国ではチケットが入手困難となり、グラストンベリーをはじめとした世界各国のフェスにも出演を果たすなど、飛ぶ鳥を落とす勢いの彼ら。ここ日本でも2018年には『SUMMER SONIC』出演とワンマンライブを敢行しており、そして去る9月には『中津川 THE SOLAR BUDOKAN』出演のため再来日を果たした。本稿では同フェス出演の前日にインタビューを実施。バンドの馴れ初めから音楽性、台湾のシーンについてなどを訊いた。

――まずはおさらいになりますが、どのように結成されたバンドなんでしょうか。

Wood Lin:簡単に言うと、僕とこの2人(Chu Chu、Fan Tsai)が同じ高校で、僕とSam Yangが大学の友達なんです。

Sam Yang:元々は4人とも別々にバンドをやっていたんですけど。大学のときに、まだハッキリとした目的はなかったんですが、4人とも好きな音楽の方向性が一緒だったりもしたので、一緒にやることにしました。

――そのときに共通していた好みってどんなものでしたか。

Wood Lin:2010年にトゥー・ドア・シネマ・クラブを初めて聴いて。それまではChu Chuとパンクやメタルみたいな音楽ばかりやっていたんですけど――

Chu Chu:ニューメタルをね(笑)。

Wood Lin:そう。それでトゥー・ドアを初めて聴いてから、ポップスとかディスコサウンドもすごく良いなと感じてビックリして。そっちの方向に行きたいという思いから、Party For Cao Dongというバンド名をつけたんですけど、それから色々経験していく中で今のバンド名に変更したんです。今はまた元々遊んでいたような音楽性に戻ってきた部分もあります。

Chu Chu:単に戻ったというよりも、4人が今好きな音楽をそれぞれ集めて、新しさを作り出していくモードになってます。

Wood Lin:全て併せて新しいものをね。

No Party For Cao Dong 撮影=俵 和彦

No Party For Cao Dong 撮影=俵 和彦

――音源を聴いても、すごくメロウな部分とヘヴィな部分の共存を感じましたが、そのあたりは4人の好みが合わさった結果なんですね。

Sam Yang:4人の焦点を合わせて作っていった感じですね。

――そういった音楽をやっていく中で人気が高まって、ここ日本や欧米でもライブをしたりしている。そういう活動は最初から思い描いていましたか。

Sam Yang:いや、当初はインターナショナルな活動ができるとは思ってなくて。

Wood Lin:小さなライブハウスから始めようと思っていただけです。でも2016年をきっかけに、バンドをステップアップするにあたり、ちゃんと真面目にバンド全員で考えていこうと思って。自分たちの慣れているやり方で「次は何をするか」を考えてはいけないと思うようになりました。今のようにワールド・ツアーへ行って、多くの人と出会って新しい選択肢があったときに、一生懸命に模索をしてゆっくりと歩き続けた。そうやって今に至った感じですね。

No Party For Cao Dong 撮影=俵 和彦

No Party For Cao Dong 撮影=俵 和彦

――今回の来日では『中津川 THE SOLAR BUDOKAN』に出演されます。ソーラー電力がこのフェスのコンセプトであり、メッセージでもあるんですが、日本だけ出なく世界的にも、気候変動の問題などから環境について考える時期に来ていると思います。そこに何かお考えはありますか。

Wood Lin:普段から多くのことを考えてます。今回はラッキーなことに、直接このフェスに参加することができて、そういう問題を少しでもいろんな人に知ってもらうために、自分たちがアナウンスの手助けをできることが嬉しいです。環境について訴えることをこれだけのフェスの規模までにしているのは、たとえばただ一つのバンドが「環境保護をやります」って言うよりもすごいことだと思いますし、それだけの人員とかスケジュールを調整するだけでも大変ですよね。それについては感謝もしていますし、これからも支持していきたいと思います。

――ありがとうございます。ちなみに今、台湾の音楽シーンではどんな音楽がよく聴かれているんでしょうか。

Sam Yang:今は特に何が流行っているとかはなくて、みんないろんな音楽を聴いているので、すごく多様化している気がします。

No Party For Cao Dong 撮影=俵 和彦

No Party For Cao Dong 撮影=俵 和彦

――世界的にはHIP-HOPが盛り上がっていてバンドの音楽は元気がなかったりしていますが、そのあたりは。

Sam Yang:台湾では少し前までバンドの勢いがすごくて、今はバンドもHIP-HOPも両方、2大音楽みたいな感じになっていますね。

Wood Lin:先ほど多様化されているという話もありましたけど、HIP-HOPしか聴かないみたいな人はあまりいなくて、HIP-HOPも聴くけどバンドも聴くよねっていうような人が多いと思います。

――混ぜてみよう、みたいな考えもあったり?

Fan Tsai:はい。

Wood Lin:今はそういう、混ぜてみたような音楽をやっている人がすごく多いですね……そういう人はすごいですよ。

Fan Tsai:(自分たちも)練習の時はラップして遊んだりはしますけどね(笑)。

No Party For Cao Dong 撮影=俵 和彦

No Party For Cao Dong 撮影=俵 和彦

――じゃあそのうちそういう曲も生まれたり?

Wood Lin:トラップのビートとかいろいろな装飾はするんですけど、コードとか編曲は今までの自分たちのものを残しつつ、新しいものを取り入れることは考えています。

――最後に日本の印象についても聞かせてください。過去の来日時には『SUMMER SONIC』出演やワンマンなどもありましたが、どんな感想を持ちましたか。

Sam Yang:『SUMMER SONIC』に出たときは、もう天国に昇ったような気持ちだったし、あの3日間は最高によかったです。新しいものを目にして、新しい扉が開いたような感じでした。

Fan Tsai:音楽以外の部分だと、毎日ラーメンを食べに行っても飽きないということに最近気づきました。

――それは間違いないです(一同笑)。ここ名古屋には台湾ラーメンなる食べ物もありますよ。

Wood Lin:まだ食べてないんです。

Chu Chu:台湾にも「日本ラーメン」って看板に書いてある店が結構あるんですけど、見ればすぐに「多分、日本正統派じゃないよね」って分かるような。それと同じかな?(笑)  でもちょっと試してみたいです。


取材・文・撮影=風間大洋 ライブ撮影=俵 和彦

No Party For Cao Dong 撮影=俵 和彦

No Party For Cao Dong 撮影=俵 和彦

オカモトコウキ(OKAMOTO’S) 盟友をサポートメンバーに迎えた1stソロライブで全15曲を披露

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OKAMOTO’Sのギター、オカモトコウキが11月5日に誕生日を迎え、初のソロライブをVeats SHIBUYAにて開催した。

サポートメンバーには、OKAMOTO’Sのメンバー、ハマ・オカモトをBaをはじめ、TAIKING(Suchmos/Gt)、八木類(ex..Czecho No Republic/Key&Gt)、岡本啓佑(黒猫チェルシー/Dr)とこれまでの音楽人生を共に歩んできた同世代の盟友たちを迎えての開催となった。

オカモトコウキ(OKAMOTO’S)

オカモトコウキ(OKAMOTO’S)

ライブは、ソロアルバム『GIRL』1曲目に置かれている「I GOT LOVE」から始まり、イントロがスタートすると即日完売となった会場いっぱいの観客から大歓声があがった。その後、OKAMOTO‘Sナンバー「なんかホーリー」や敬愛する細野晴臣のカバー「恋は桃色」を織り交ぜ、全15曲を披露し大盛況でライブの幕を閉じた。

オカモトコウキ(OKAMOTO’S)

オカモトコウキ(OKAMOTO’S)

なお、こちらのセットリストがプレイリストとしてSpotifyをはじめとする配信サービスにて公開されている。

また、このライブの即日完売を受け、2020年1月19日(日) 京都磔磔での追加公演の開催が決定。オフィシャルサイト先行が本日11月6日18:00より受付がスタートしている。

撮影=中野修也

オカモトコウキ(OKAMOTO’S)

オカモトコウキ(OKAMOTO’S)

 


Stray Kids、FC会員限定ショーケースを国立代々木競技場で開催決定 FC&モバイルのダブル入会で1万名を無料招待も

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Stray Kids(ストレイキッズ)が12月3日(火)に国立代々木競技場 第一体育館にて『Stray Kids Japan Showcase 2019 “Hi-STAY”』を開催することが決定した。

Stray Kidsは、2017年、韓国のエンターテイメントTVチャンネルMnetで放映されたサバイバル・リアリティ番組『Stray Kids』を通じて選抜された、JYPエンターテインメント所属のボーイズグループ。

また、昨日・11月5日(火)に公式ファンクラブ「Stray Kids OFFICIAL FANCLUB STAY JAPAN」と「Stray Kids STAY JAPAN MOBILE」がオープン。今回はプレオープンとなり、本格的なオープンは上記公演と同日の12月3日(火)を予定している。年会費の「Stray Kids OFFICIAL FANCLUB STAY JAPAN」では、限定会員証やオリジナルグッズが同封された入会キット、年末にはメンバーから届くグリーティングカードなど特典が多数用意されているという。月額制の「Stray Kids STAY JAPAN MOBILE」でも、個性あふれるメンバーの舞台裏の様子を見ることができるほか、メンバーからバースデーメールが届くなど、様々なデジタル・コンテンツを予定している。さらに、ファンクラブ&モバイル入会のダブル会員には限定ノベルティも用意されているとのこと。

さらに、日本公式ファンクラブのオープンを記念して、『Stray Kids Japan Showcase 2019 “Hi-STAY”』にファンクラブ&モバイル入会のダブル会員を無料で(1万名先着)招待するという。詳細は公式サイトをチェックしよう。

UVERworld、アルバム『UNSER』のアートワーク&収録曲を公開 新曲含む全15曲収録

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UVERworldが、12月4日にリリースする10枚目のアルバム『UNSER』のアートワークと収録曲を発表した。

約2年4か月ぶりとなるオリジナルアルバムには、「ODD FUTURE」「GOOD and EVIL」「EDENへ」「Touch off」や、最新シングル「ROB THE FRONTIER」をはじめ全15曲を収録。タイトルのUNSERについてTAKUYA∞は「ドイツ語のUNSER(=俺たちの)と英語のANSWER(=答え)で『俺たちの答え』という意味を込めて付けた。」と語っている。

初回限定盤の特典には、UVERworld結成19年を迎えた2019年6月6日の沖縄公演を完全収録、ブルーレイ盤とDVD盤の2タイプが用意されている。なお、リリースを記念して11月13日名古屋、11月17日福岡でのラジオ公開収録も決定。観覧の詳細についてはホームページを確認しよう。

羽生まゐご、コンセプトアルバム『魔性のカマトト』にSouの参加が決定 特設サイトでは「白夜」の試聴も

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羽生まゐごが12月18日(水)にリリースするコンセプトアルバム『魔性のカマトト』にSouが参加することが決定した。

『魔性のカマトト』に収録される新曲「世界で一番じゃない貴方を愛したら」にSouが歌唱参加。今作はカマトトという、とある男にまつわる物語・コンセプトアルバムで1本の映画作品の様に構成されているという。また、本日公開されたアルバム特設サイトでは「白夜」を限定試聴することができる。

そして、アルバム購入者には各CDショップごとに異なる特典がプレゼントされる。11月11日(月)までに予約をした早期予約対象者には「魔性のカマトト/オリジナル クリアファイル(A4サイズ)」がゲットできるW特典となっている。

ドレスコーズ 2019年7月の横浜BAY HALLライブ映像ティザーを公開

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ドレスコーズの最新ライブ映像作品『ルーディエスタ/アンチクライスタ the dresscodes A.K.A. LIVE!』(11月20日発売)のティーザー映像が公開された。

今作は6枚目のフルアルバム『ジャズ』を引っ提げ全国9箇所を巡った『“THE END OF THE WORLD PARTY”TOUR』のファイナル公演(7月6日/ 横浜BAY HALL)の模様を収めたもの。Blu-rayとDVDで2タイプでのリリースとなり、Blu-ray版にはフランス人アーティスト、ジュリアン・レヴィ監督により製作されたショートムービー「The End Of The World Party」のスピンオフ版「The End Of The World Party - Part 4 (Spinoff)」が特典映像として収録される。

 

カネヨリマサル ツアー東京公演はTETORAとTHEラブ人間を招いた3マンライブに

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大阪発3ピースガールズロックバンド、カネヨリマサルが、1stミニアルバム『かけがえなくなりたい』(10月23日発売)収録楽曲「ユースオブトゥエンティ」のミュージックビデオ公開した。

「ユースオブトゥエンティ」は、ボーカルのちとせみなが20歳の頃に制作した楽曲。<東京タワー見るまで死ねないよ>という歌い出しが印象的な本楽曲は、MVでもブロックの東京タワーが登場。東京タワーのブロックを置いたスタジオ演奏と夜の街に佇む彼女たちが、楽曲の世界観をさらに広げている。

そして、リリースツアー『カネヨリマサル "かけがえなくなりたい" Release Tour "マイ フェイバリット"』東京公演のゲストも発表。2020年1月17日(金)下北沢SHELTERにて行われる本公演は、TETORAとTHEラブ人間を招いた3マンライブとなる。

 

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